夢想百題
028. 闇払う陽の標 (1)
目が離せなかった。
怒号と馬蹄音が鼓膜を乱れ打つ激戦地。最前線のまっただなかを駆け抜ける、金色の光。
戦装束に身を包んだうら若き乙女である。軍旗を掲げ、白馬の背に颯爽と鐙立ちしたその勇姿は、まるで聖戦の始まりを告げる軍神の娘のようだ。敵味方の区別なく人目を引いて、離さない。
あれこそが俺たちの戦乙女。あるとき彗星のように現れて、くすぶっていた俺らに再び剣を取らせた女──レイディは、怯むということを知らない。
乾き切った風が戦陣を薙いだ。旗に描かれた金獅子と白百合は、戦場に立つ誰の目にも届いたことだろう。
「臆すな、進め。神意はここに在り!」
威風堂々たる王太子旗。俺らの戴く主の印章(。
我知らず、胸が熱くなる。俺だけではない。この軍旗のもと、彼女の玲瓏たる声を聞いた味方の兵士はこぞって奮い立ち、軍団全体の士気が急上昇する。離れていても気勢のうねりがはっきりと伝わってくるのだ。共に幾度も戦闘を経て、今やレイディは我が兵団の核たる存在となっていた。
火の玉のように熱気を帯びた兵士団を、歴戦の総司令官どのが鋭くまとめる。引き絞られた空気。大音声の号令一下、味方の軍勢は攻勢に打って出た。
とたんに浮き足立った敵兵に飲み込まれぬよう、俺はすかさずレイディの隣へと駆け寄っていく。目下の任とはいえ、自分の役目は彼女の護衛。ましてレイディは騎馬突撃にすら参加するのだ。並みの兵士をはるかに凌ぐ勇猛果敢。常に先頭に立って出陣する彼女のことだから、ひとたび戦端が開かれたら片時だって離れるわけにはいかないのであった。
「そんなに前に出なくても大丈夫だろう。いったん退がれ!」
俺の声を聞き分けたらしく、レイディはすぐに手綱を引いた。白銀の鎧に包まれた小柄な身体は、もう鞍上に危なげなく収まっている。いつ見ても姿勢がいい。これほど華奢な身体つきで、重みのある大型軍旗を掲げ持つのはさぞ消耗するだろうに、そんな素振りはまったくといっていいほど見せたことがなかった。
レイディの新緑色の双眸はいかなるときも生彩を放って輝き、その眼差しは炎のように強く、そして熱い。
下っ端兵士たちは彼女のことを『天から遣わされた救世使』などと大仰に称賛しているが、信仰心の薄い俺でさえ、あながち過大評価ではないのかもしれないと、最近は思うようになってきた。荘厳なる託宣の聖女というよりは、戦果によって神意を示す軍神の娘だろう、とも思うのだが。
「敵軍は乱れている。態勢を整えるゆとりを与えてはなりません」
「ああ、分かってるさレイディ。総司令官どのは闘将と呼ばれる百戦錬磨だ。手練れの隊長もいる」
兵士の練度はともかく、敵兵の士気は低い。
はるか遠い異国の都から遠征してきて、攻めあぐねた末に半年以上にわたってこの要衝の街を包囲しているのだ。街道と大河の交わる地に戦略的な価値があるとはいえ、膠着と小競り合いの繰り返しに、もういいかげん倦んでいるに違いなかった。
あと一押しあれば崩せる。俺がそう考えた、まさにその瞬間。
大気を震わせ、喚声が上がった。市壁、いや街の中からだ。
突撃。街を覆う防護壁の内側から出てきた武装集団が、一丸となって突っ込んでいく。激突した先は敵軍団の脇腹。隊列が伸び切って無防備だった場所へ、吸い込まれるように突き刺さる。
手に持った武器はまちまちで、中には農具と大差ないような棍棒を振り回している者もいた。けれど、効いている。戦線が揺らぐ。敵兵は明らかに算を乱し始めた。
「ジャイル、あれは街の守備隊ね!?」
「そのようだな。俺たちが包囲網を攻撃するのを見て、加勢する気になったんだろう」
街を侵略させまいという一心で、半年も持ちこたえてきた気骨のある連中だ。自力で包囲軍を追い払うすべはなくとも、俺たちが市壁の外側で敵に攻撃を加えたこの機に乗じて、ということだろう。
要衝地たるこの街から侵略者を駆逐し、その勢いで、敵連中の要塞拠点と化した近隣の街をも奪い返す。そんな戦略を描いていた俺たちにしてみれば、願ってもなかった助太刀だった。
「おい!」
手綱を握り締め直すレイディの仕草を見て取って、半分苛立った声が自分の口をついて出た。
「何をする気だ。敵さんはもう充分にぐらついてるだろうが」
「だからこそ、今もう一働きしなくては。わたしがここにいるのは王太子殿下の戴冠のため。異国の侵略者と祖国の裏切り者を退けるためです。勝機を、逃すわけにはいかない!」
さっぱりと言い切られてしまっては、それ以上の問答は無用だった。もとよりここは戦場。剣と命と信念、すべてが火花を散らしてぶつかり合う場所だ。そして最後に揺るぎないものだけが残る。
「我らが母国に正統なる王を! 獅子の子らよ、起つのです!」
高らかな号令だった。軍旗がひるがえる。まばゆい金色。陽射しを弾き、奔流となって波打つレイディの金髪。
赤い土ぼこりが流れて視界をかげらせた。砂塵の中でも、やはり光を纏った彼女は別格に映る。
戦場特有の異様な熱気と、軍馬の精悍ないななきと。再び駆け出したレイディに寄り添いながら、俺は五感が研ぎ澄まされていくのを自覚した。腿から伝わる愛馬の体温が快い。地の果てまでも駆けていけそうな気がした。