異端者たちの夜想曲
桐生悠二 (2)
夏実は、上品なスーツを着込んで丸ノ内のオフィス街を闊歩している方がよほど似合いそうだった。だから悠二の中で、夏実の第一印象は同期連中の誰よりも強かった。
とはいえ経験則からすると、こういうタイプの女はやたらに鼻っ柱が強い──と悠二は思っていたので、あえて話しかけたりはしなかった。だが研修過程が進むにつれて、悠二はいつしか、無意識のうちに彼女の姿を目で追いかけるようになっていた。
彼女はいつだって落ち着き払っていて……そして、何事にも真剣だった。
悠二は緊張したりストレスを感じると、なぜか必要以上にちゃらけてしまう癖がある。そんな彼にとって、冷静に、すべきことを順番にこなしていける夏実は、いつしか尊敬に値する存在となった。
そして迎えた研修の最終日。探偵の卵たちは、最後の仕上げに実地試験を課せられた。
試験の内容は、二人一組で適当な人物を尾行するという単純なもの。だが、私立探偵への依頼の四〇パーセント以上を“浮気調査”が占めている以上、尾行は疎かにできない基本技術だ。
組み合わせは、くじ引きで決められた。何の因果か天の導きか、はたまた悪魔の気紛れか。とにかく、悠二と夏実はそこで初めてコンビを組むこととなったのである。
悠二の臨機応変さと、夏実の辛抱強さ。互いに補い合い、二人は試験を最優秀の成績でクリアした。
以来、何となく気が合ったこともあり、探偵として独立事業を始めてからも、二人はずっと相棒同士だった。
「それにしても、これはちょっと遅すぎるわね」
左腕に巻いた時計を一瞥し、夏実が不審げに首を傾げた。
今回の依頼主は、とある報道機構の一部門。M製薬会社が薬剤品を海外に不正流出している疑いが大きいので、証拠を掴んでほしい、というビッグな依頼である。あまりにも規模が大きすぎて、悠二は前金が指定口座に振り込まれるまで信じられなかったくらいだ。
普通こういう件は、警察なり公的な調査団体なりの仕事であって、しがない私立探偵の出る幕ではないのだが、いかんせん証拠不足。事が明るみに出ないと腰を上げない公的機関は当てにならない、ということらしい。
そんなわけで、悠二たちは雪の中、密談の証拠を押さえるべく身を潜めているのである。
盗聴とホストコンピューターへのハッキングの結果、今日この時間に極秘商談が行われることは分かっていた。現場となる高級料亭にはすでに盗聴器を取りつけ、録音や撮影の準備も完了している。
だが、いくら待ってもそれらしき人物がやって来ないのだ。
製薬会社側は仲介人を使っているはずだし、薬剤を海外に流している側の人間は、おそらくその業界の玄人。鍛えられた悠二と夏実の眼で見れば、一目でそれと判るはずである。
降りしきる粉雪の中、物陰に隠れた悠二は、注意深く店の入り口付近を見回した。辺りには誰もいない。商談は見送りになったのだろうか? それとも……
悠二が深呼吸しかけた、その時。
「お前たちカ? 近頃M製薬を嗅ぎまわっているのハ」
ぎょっとして身を強張らせる悠二と夏実。
ぎこちない日本語と共に突如現われたのは、三つの人影だった。いずれも、東洋人の男という以外に際立った外見特徴はないように見える。ひどく剣呑に輝くその双眸を除けば、であるが。
一体いつの間に背後を取られたのだろう。気配は感じなかった。雪のせいで感覚が狂っていたのだろうか。
──しくじった。
じとりと掌が汗ばむ。
視線を走らせれば、夏実も同様だったらしく、緊張した面持ちで身体を強張らせている。
「これは警告ダ」
「今後一切、M製薬の周りをうろつくナ」
威圧的に言い放つ男たち。おそらく薬剤の密売買ルートに関わっている連中なのだろう。推測だが、バックには国際規模のマフィア、といったところか。
こんな、いかにもマトモでない連中が出てきたということは、もはや明らかにM会社の疑惑はクロ確定なのだが……依頼主が欲しいのは物的証拠。
さて、どうしたものか。
「お前たチ、誰に雇われタ?」
最初に声を発した男が訊ねた。
それはむしろ優しい口調だったが、悠二には凶暴な人間が無理に猫なで声を作っているようにしか聞こえなかった。さながら、子ヤギたちの家に押し入ろうとする狼のように。
いつ暴発するか分からない危うさを秘めたまま、男は重ねて訊く。
「警察じゃないだろウ? 連中ハ、こんなイレギュラーな動きはしないからナ。誰ニ、雇われたんダ?」
──ここで、悠二と夏実に与えられた選択肢は三つあった。
その一、正直に依頼主の素性を教える。
ただしこれは守秘義務の契約違反。つまり探偵失格だ。しかも依頼主にも危険が及んでしまう。
その二、嘘を教える。
これはけっこう有効なテだ。破れかぶれではあるが、うまくやればこの場を切り抜けることができるだろう。
追い詰められて、とっさに悠二の口をついて出たのは……