異端者たちの夜想曲

林原将 (3)


 将より一回り年上のルソンはまっとうな社会人ではなく、定時出勤とは無縁の生活をしていた。
 マフィアだの麻薬ディーラーだの、どうやらそういう危ない連中の間を泳ぎ回って、金を稼いでいるらしい。詳しい話を聞いたわけではないが、将の見る限り、その手法はそこそこ成功しているようだった。
 十四歳の将ではろくにアルバイトもできない。土地柄に見合った働き口は多くあるのだが、治安が悪すぎるから、物知らずの子どもなど食い物以外の何者でもないのだ。
「お前には無理ダ」
 と、日銭稼ぎを諦めるよう言い渡された。
 倹約を心がけさえすれば、ルソンの稼ぎだけでも男 二人の生活に支障はなかった。
 ルソンは外で稼ぎ、将は家事全般を担当。二人の生活は思いのほかうまくいっていた。
 将は、ルソンの周囲に漂う犯罪の臭いを嗅ぎ取っていたが、そこから逃げ出そうとは考えなかった。いつ壊れるかも分からないガラス細工のような関係だが、居場所があるだけあの家よりはマシだったから。
「お前と同じ年頃の弟ガ、故郷にいるんダ。お前を見てるト、弟を思い出ス。だから放っておけなかったんダ」
 そんなルソンの弁を、完全に信用したわけではなかったけれど。
 月日が経つにつれて、明るく気楽なルソンに、将は次第に心を開いていったのだった。


 春の息吹が肌に感じられるようになった頃、ようやく将は落ち着いて思考を巡らすようになっていた。
 年末に起こった、父との経緯についてである。
 あの家で、悪夢は日常生活そのものだった。将が今こうしているのも、もともと地下に渦巻いていたマグマが、何かのきっかけを得て地表に吹き出た結果に過ぎない。
 では、きっかけはなんだったのだろう。それまでは危ういながらも均衡を保っていた父の感情を、ああまで一気に追い詰めた、その原因は?
 ひょっとしたら、と将は考えた。
 血の繋がらない息子というスキャンダルが、周囲に広まってしまったのかもしれない。例えば父の職場で。
 それともあるいは、母が不倫相手とまだ通じていて、あの日ついに決定的な出来事が生じたのだろうか。
 ──他にも色々と考えたが、将は原因について考えるのを放棄した。結局どれも推測の域を出ないからだ。
 だいたい父にしても母にしても、理解不能なことが多すぎる。
 父は自分を裏切った妻とその子が憎いなら、さっさと離婚なり別居なりすればよかったのだし、母だって子どもができて困るのなら、それなりの処置をすべきだったのだ。十月も経過して赤ん坊が腹から出てくる前に、手を打つこともできたはずなのに。
 あの家庭は、矛盾と負の感情ばかりが黒々と渦巻いていた。早々に実家を見限り独立した姉は、おそらく正解だったのだろう。
 何はともあれ、家へ戻って父に問い質すことなどできないし、そのつもりもない以上、起きてしまったことを今更あれこれ考えても仕方がない。
 ──忘れるんだ。将は自分に強くそう命じた。後ろを振り返るより、今はルソンとの生活のことを考えるべきだった。
 ルソン。初めて得た、自分を庇護してくれる年長者。
 最初の数ヶ月は戸惑いと警戒でよく分からなかったが、半年、一年と経つうちに、ルソンの存在は将の中で徐々に大きくなっていった。
 ルソンという男は、ごく常識的な基準からいえば、決して真っ当な人間ではなかった。定職に就いて地道に働こうなどとは微塵も考えていないし、就労ビザも正当なものかどうか実に怪しかった。
 そんな男がなぜ自分を匿ってくれるのか、もちろんのこと将はその理由を考え続けた。
 なんらかの思惑があるのか。あるいは、単なる偶然と気紛れが互いに干渉し合った結果なのかもしれない。
 ルソンの思惑についても、将はさんざん推測を巡らせたのだが……やはり結局のところ、いまひとつ分からなかった。
 だが、ひとつだけ言えることがある。
 将に“世界の裏側”の存在を教えてくれたのは、確かにこのルソンだった。
 ──共に暮らした二年間で、ルソンはたびたび酔って帰宅した。そんな時彼は、将の用意しておいたスポーツ飲料を飲みながら、よく言ったものである。
 いわく、普通の人は日本を公明正大な法治国家だと思っているけれど、現実はそんなに単純ではない。光の届かぬ領域は確かに存在するのだ。自分みたいな人間は、その入り口付近をうろついて真っ当な奴を食い物にするか、おこぼれにあずかるのが精一杯だ──と。
 ルソンの言うことがどうやら真実らしいと、その頃には将も薄々気づいていた。
今まで将は『スイッチを押せば電気がつく』というのと同じ感覚で、『罪を犯したら法の裁きを受ける』と思っていたが、実はそうではなかったのだ。
 法は万能ではない。法とは、その効果が及ぶ範囲内においてのみ有用なのだ。
 だからTVで報道される犯罪は、ほんの一部にすぎない。『表』で処理できることだけが一般大衆に知らされて、そうでない事件は闇から闇へと葬られる。それが世界の理なのだ。