異端者たちの夜想曲

蠢動 (3)


 大きな組織ほど、個人を持ち駒のひとつとして軽視する傾向が強い。安易に従って利用され、都合が悪くなった途端に切り捨てられたのではたまらない。最低限、身の安全は保証してもらわねば。
 強烈な言動のわりには用心深い宮乃木だった。
「どうなんです? 『御使い』に人知れず殺されるのも、捨て駒にされるのも御免被りたいのですが」
「その点はどうぞご心配なく。Mr.ミヤノギが我々の条件を承諾してくださるなら、護衛・兼・連絡員をつけさせていただきます」
「我らとしては、ぜひとも貴方にお引き受け願いたいのですよ。政界の最重鎮Mr.トラオ・サンジョウの寵児と名高い貴方にね。どうぞご英断を」
 非の打ち所のない答えを返すシュリッツに、シュナイツァーも唱和する。こちらはややぎこちない日本語だが、発言の意図は誤解しようがないほど明瞭だった。
(護衛つき……か。ずいぶんと奮った待遇だな。それほど日本地下層の甘い汁を啜りたいというわけか)
 宮乃木は思考を顔に出さぬよう細心の注意を払いながら、三人を改めて眺め直した。
 シュリッツは、まるでこちらの返事は予測済みと言わんばかりに泰然としている。優雅ですらある態度だが、蒼い双眸には苛烈なまでに力強い光が満ちていた。シュナイツァーもほぼ同じ様子で、忍耐強く待ちの姿勢を保っている。
 だが紅一点の夏木はというと、「そろそろ座り疲れたわ」とでも言いたげにスカートのしわを伸ばしている。社会人、それも対外交渉に携わる営業員としては確実に落第の態度である。けれどもその無関心さが逆に、宮乃木には考えさせられるものがあった。
(ふん……いいだろう、協力とやらに応じてやろうじゃないか。どうせなら後ろ盾は強くて大きい方がいいしな。お互い様だろうが、せいぜい利用させてもらうとするよ)
 そう宮乃木が胸中で独りごちた瞬間、シュリッツの口元が微妙に釣り上がった。ほんのわずか、笑みを形作った唇。それを視界に捉えた宮乃木は、考えが表情に出てしまったか? と狼狽したが、どのみち声明発表はしなければならないので、動揺を押し隠して仕方なく口を開いた。
「……ええ、そういうことであるのなら……微力ながらこの宮乃木真司、謹んでご協力させていただきたいと存じます。なにとぞ、よしなに」
 宮乃木の厭味なほどへりくだった返答に、シュリッツは鷹揚に頷いてみせた。
 契約成立である。
 こうして地下組織と一議員の密談は、腹に一物も二物も抱えた両者の固い握手でもって、厚いカーテンの奥、人知れず幕を下ろされた。
 二〇〇三年四月、都内某所。穏やかな陽射しの、とある春の日のことであった。

──… * * * …──

「シンジ・ミヤノギは野心家だな」
 長い金髪をかきあげて、シュリッツは嘆息まじりに呟いた。
 すでに外交官さながらの営業用スマイルは拭い取られている。涼しげな顔には陰りがさし、声音には微かな嫌悪が浮かんでいた。気疲れのせいだろうか、いつになく投げやりな物言いである。
 シュリッツは高級ドイツ車の後部座席に長身を埋め、不機嫌そうに外を眺めた。
「ま、確かに損得勘定だけは得意そうだが」
 運転席で静かに車を走らせているシュナイツァーは、取引相手への侮蔑を隠そうともせずに取り合った。
 シュナイツァーに言わせれば、真剣なビジネスの話をしている最中にへらへらと愛想笑うような人物は品性下劣であり、言葉を交わすのも忌々しいのである。徹底して公私を分けたがる気質のドイツ人としては、これはごく当たり前の考えだった。
 実際のところ、「笑顔は私的感情の顕れである」と公言し、勤務時間中は生真面目な表情を決して崩さない者が、ドイツのオフィスには大勢いる。シュリッツのように、相手に合わせて変幻自在に対応できる者などごく稀なのだ。
 ことに先程までの密談相手である宮乃木真司は、口から出る言葉は卑屈と評してもいいくらい丁寧で低姿勢だというのに、その目には暗く不遜な光がくっきりと宿っていた。
 手段を選ばず、ひたすら己の栄達のみを求め続ける者によくある眼差しである。裏で油断なく計算を巡らせているのは、まず間違いないだろう。
 利に群がる小物。ゆえに、シュナイツァーは宮乃木に対してそういった印象を抱いた。
「いや……なかなかどうして、したたかな人物みたいだよ。≪SS≫の名前に臆してなかった」
 シュナイツァーが沈黙したので、シュリッツはさらに付け加える。
「『せいぜい利用させてもらう』……内心じゃ、虎視眈々とそう考えてた。さすがはトラオ・サンジョウの後継者候補といったところかな。大したタマじゃないか」
 さらりと述べて、口元に薄笑いを浮かべた。なまじ整った顔立ちのせいで、こういう表情をするとシュリッツはひどく冷酷に見える。
「ふん、そうか。口では保身第一のように言っておきながら、やはりな」