「両陛下! ご無事ですかッ!?」
息も絶え絶えに広間へと飛び込んできたのは、南の森林地帯へ攻め込んできた海人の一団を迎え撃つため、別行動をとっていた部隊の戦士たちだった。皆あちこちから血を流しているが、それにかまってなどいなかった。傷ついた翼に鞭打ち、必死の思いで駆け付けたに違いない。
セラフィムは彼らを安心させるため、できる限り穏やかな表情を作った。
「ここにいる。城の最深部にまで侵入を許したのは遺憾だが、私たちは大丈夫だ」
国王の力強い眼差しを受け、戦士はにわかに生気を取り戻す。
「南部の森、掃討完了いたしました!」
「そうか。皆、よくやった。少し休むといい」
国王と王妃の無事な姿を目の当たりにして、不眠不休で飛んできた戦士の肩の力がようやくわずかに緩んだ。
「敵は城都の市街地に布陣中ですが、すでに民は退避しました。第三、第五部隊は待機中。あと城内に残っているのはこの場にいる者だけです」
「それでは陛下」
「うむ。我々も市街へ参ろう。外に出れば、我らには翼があるぶん遥かに有利だ。戦える者は各隊長の命令に従って行軍し、重傷の者が出たらすぐに王妃に診せろ。治癒の法願で助けられるやもしれぬ。万が一、非戦闘員を見かけた場合は、その者の保護を最優先とする」
「はっ!」
「それから、誰かルシファーを退避させてやってくれ。敵は王族、そして法願使いを狙っているのだ。ルシフェルはすでに退避したのだが……この子の容姿ではどうしても目立ってしまう。
よいか、決して人目に触れぬよう、慎重にことを進めてくれ。頼んだぞ」
「承知致しました。必ずや」
「うむ。ならば──往くぞ!」
「おうっ!」
額を、腕を、脇腹を。天人の証たる一対の翼をも、自ら流した真紅の血に染めながら、空を往く者たちはそれでもなお羽ばたく。
「海人は不気味な能力を持つ者が多いと聞く! 迂闊に近づくな! 空を行け!」
「人食い鮫どもの好きにされてたまるか! 皆、行くぞッ!」
「我らの生きる世界、天人国を守るんだ!」
思い思いの鬨の声を上げ、戦士たちは次々と露台から空へと吸われていった。
「ルシファー」
戦装束に身を包んだ王妃は膝をつき、まだ七歳にもなっていない娘をそっと抱きしめた。
「ルシファー。いずれあなたにも、己の運命と向き合わねばならないときがやってくるでしょう。せめてそのときまでは傍で見守っていてあげたかったけれど……」
遺していくことになるであろう幼い娘は、現存する稀少な法願使いの末裔。その異質で強大な力ゆえに苦悩する日が、いつか必ず訪れる。そのとき、一体誰がこの子の傍にいてくれるのだろう?
願わくば、兄ルシフェルと共に健やかに育ってほしい。王妃の最後の願いだった。
頬を寄せ合う母子を見つめていた国王は、不意に二人に近寄ると、妻子を一緒に抱きしめた。娘を抱き上げ、その小さな背にある幼げな白翼に触れる。
白桃の頬。輝く黄金の髪。紅葉のような手。妻によく似た清雅な面差し。
小さく、柔らかく、温かい、愛しい子。掌で娘の頬を包み込み、国王はその額に唇を寄せた。
──光を見据えて前に進め。そして、その光が生み出す影を見過ごすな──
「お父様……お母様……!」
ルシファーはただそれしか言えず、父と母にしがみつくようにして腕を伸ばした。
言葉になどならない。視界がにじむ。抱きしめられた両親のぬくもりと甲冑の冷たさとが、ひどく鮮明に感じられた。
涙でかすんだルシファーの視界を、大きな白い翼が遮った。
──戦士たちが往く。
風に乗り、銀色に輝く満月を目指して。
揺るぎない誇りをその胸に抱いて、彼らの母なる大空へと。
END