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Your Name (1)



 物心ついてからずっと独りだった。
 清潔さだけが取り柄の薄暗い監獄の中、言葉を交わす相手もなく、ただ生かされているだけの日々。
 なぜ自分は閉じ込められているのだろう。
 なぜ自分は“忌み子”なのだろう。
 “あの女”はいつまで自分を飼っておくつもりなのだろうか。
 身体に深く染みついた疲労感の上に、疑問が重なり降り積もる。答えが与えられることのないまま淀んで(こご)り、ゆっくりと確実に煮詰まってゆく。
 青白い身体を丸めて毛布にくるまると、少しだけ気持ちが和むような気がした。
 そう、確かなものは己の体温だけだった。

†  †

「エーギル」
 暗く淀んだ声が呼ぶ。牢獄に響いたその単語が自分の名前だと思い出すまで、ゆうに一呼吸分はかかった。
「エーギル」
 繰り返し呼ばれたが、返事はしなかった。
 与えられた固有名詞は他の存在と区別するために有用なのかもしれないが、薄闇の中で独りうずくまるだけの自分には大して必要ないものだ。物心ついた時から闇は自分と一体であり、自分は引き伸ばされた闇の一部なのだから。
 今のように不意に名前など呼ばれると、身体に馴染んだ闇からざくりと切り抜かれたような幻覚を抱いてしまう。じっと座っていれば意識が闇と溶け合って、自分が果てしなく広がっていく感覚を味わうことができるのに、この女は時折こうしてその邪魔をしにやって来る。
「世界は戦に明け暮れているぞ」
 女は獄に囚われた幼い少年を前にしても顔色ひとつ変えず、返答がないことにも頓着せず一方的に喋り始めた。
「今朝方、獣人国が地人国に攻め入った。血気盛んなケダモノどもにしては遅すぎるくらいだが、これから面白くなるやもしれん。
 ……そして我が海人国は、今まさに天人国を食らわんと奮戦している」
 鉄格子越しに視線がかち合う。隣国の名を口に出すと、女は溶岩のような瞳でエーギルを睨み据えた。
「我が弟──お前の父親は最前線の部隊を指揮している。海人王の嫡男ともあろう者が、自ら志願してな」
 前代未聞だ、と吐き捨てる。
「この戦で武勲をたててみせると、あの子は父王に申し出たのだ。何故か分かるか、エーギル」
 青緑の瞳がいっそう烈しく煌めいた。ゆっくりと、突き刺した刃をねじり込むように言葉は紡がれていく。
「それは、忌み子であるお前の自由を購うためだ」
「あがなう……」
「そうだ。海人の子は多胎で生まれるが常。お前のように双子の兄弟を持たずして独り生まれ落ちた者は、災いの化身。忌み子よ。ゆえに生涯を牢で過ごすことになっている。だが、クロノスはそれを頑として承服しなかった」
 エーギルを見下ろし、女は息を吐いた。声量のわりにはよく通る声が、石牢に響く。
「『私が目覚ましい戦果をあげた暁には、どうか我が子エーギルに幾ばくかの便宜を』……そう言って、あの子は最前線の激戦区へと向かいおった。
 獣人や天人ではあるまいし、王族が陣頭指揮を執るなぞ海人国始まって以来の珍事かもしれぬな。父王もため息をついていたわ」
 かすかに嘆息を漏らした気配がしたが、エーギルはすでに女から視線を外してしまっていた。
 少年の脳裏を占めるのは、鉄格子越しにしか接したことのない父親の姿。二日に一度は顔を見せに来ていたのが、ここしばらく姿が見えないと思ったら……
「報告によれば、今のところ進攻具合はそう悪くない。ふん、近いうちに獄を出られるやもな」
(自由、忌み子、父……)
 冷然たる口調からは、伯母の内心を読み取ることなどできない。そもそも、このような話を自分に聞かせた意図すら定かではない。
 だがエーギルはいつものとおり気にすることなく、薄闇に包まれた己だけの世界へと戻っていったのだった。