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Your Name (2)



「やっ……離して!」
 爪を立て、噛み付き、身体全部を使って暴れ回る。
しかし少女の必死の抵抗は、屈強な腕にあっさりと押さえ込まれてしまった。
「翼の付け根を狙え!」
「早くしろ、縄だ!」
 複数の敵兵に引きずり倒され、両手を縛られ、そのうえ天人の泣き所である翼の付け根をも押さえられてしまっては、もはや幼い少女に為す術などない。
「離して、いやぁ!」
「王太子殿下、いかがいたしますか?」
「怪我をさせるな。気絶させて運べ」
 戦場の混乱の中で王室親衛隊とはぐれたルシファーは、独力で退避する途中、敵である海人の特殊部隊に運悪く遭遇してしまったのだ。
 相手は戦士。天人国王都・連翔(れんしょう)の中枢部まで進攻してきた強者たちの集まりである。
 彼らは明らかに王族と“法願使い”を狙って動いていた。貴族的な外見特徴を見事に備えたルシファーが見咎められたのも無理はない。
 何しろ敵本拠地の奥深くで刃を揮うほどの実力者たちだ。いかに法願使いの末裔とはいえ、本格的な訓練を始めたばかりのルシファー程度では渡り合えるはずもなく……脅威と見なされ狙われていた法願使いの少女は、非戦闘員となんら変わらぬ無力さで身柄を拘束されてしまったのだった。
「間違いない、天人王の娘だ」
 ぐったりと四肢を投げ出した少女を腕の中に見下ろして、海人の指揮官が呟いた。その襟元を彩る印章。人魚を模した階級章だ。ひときわ優美に輝いている。
「天人王の……、ではこの娘が例の“法願使い”ですか!? 要人がなぜ独りでこんな場所にいるのでしょう?」
「天人王の長姫。天女の末裔」
 部下の声など耳に入らぬ様子で、海人の指揮官は独りごちた。
 長年の願いに手が届く喜びと、敵の王族とはいえ幼い少女への罪悪感。ふたつの感情の狭間で胸が軋み、声を震わせている。
「これで……やっとあの子を解放してやれるんだ」
 かすれた呟きは、戦場の風にさらわれて空に溶ける。
 乱れ落ちた純白の羽根が、大地を雪のように飾っていた。

†  †

「ん……」
 ゆるゆると意識が浮上してくる。
 身じろぎした拍子に、ひやりした硬質の感触が頬に当たった。驚いて目を開けてみて、それが自分の両手を戒める(かせ)だと悟ると、ルシファーは寝台の上に跳ね起きた。
(そうか……捕まっちゃった、んだ……!)
 寝かされていたのは今まで一度も見たことのない部屋だと、一瞬で理解できた。
 三方を石造りの壁に囲まれた牢だ。鉄格子が嵌められ、燭台にはか細い炎が揺れている。
(ここ、どこだろ?)
 生まれ育った城なら次の間に控えている侍女を呼ぶところだが、海人兵に襲撃され、気を失っている間に連れてこられた場所だ。海人の勢力範囲内であることはまず間違いない。迂闊に声を出すような真似は避けた方がいい、と思い至った。
 改めて見回してみると、薄暗くわびしい風情の冷えた場所だが、据え付けられた寝台はきちんと整っているし、蝋燭や水差しも真新しい。全体的に手入れが行き届いている気配があった。
 特別な捕虜を収容しておくための独房かもしれない。
 触れてみたところ壁はたいそう厚そうで、石組みは堅固そのもの。丁重に造られた監獄であることが窺えた。
 どこかの城砦か、あるいは海人国の王都・青藍(せいらん)にある、王城という可能性もある。
(だとしたら)
 最悪だ。一瞬ルシファーの小さな背筋に怖気が這った。
 敵兵が自分のことを王族と知った上で拉致してきたのかどうか分からないが、おそらく身元など早晩知れてしまう。令嬢然とした身なりに加えて、天人貴族に多く見られる金髪碧眼、しかもこの顔立ちだ。天人王妃に瓜二つとあっては、しらを切り通すことなど不可能だろう。