最初に先輩たちと一緒に見回りをしたあとは手分けをすることになって、あたしは特別棟を割り振られた。
 教室の数が少ないからゆっくり巡回すればいいよ、と桐生先輩は優しく言ってくれたけれど、標本とかが置いてある理科室や、薄闇の中では不気味に見える石膏像の並んだ美術室に長居したいとは思えない。だってなんか怖いし。
 各部活も活動時間を過ぎて、あらかた帰宅してしまっているようだ。きちんと戸締り消灯されている部屋がほとんどだった。
「あれっ、電気ついてる」
 社会科準備室。不思議に思って近づくと、中で誰かが書きものをしているようだった。ページを探る音が聞こえる。
 勇を鼓してノックしてみれば、あっさり返事がかえってくる。「はい、どうぞ」
 この声はあの人だ。教育実習生のセレシアス先生。どうしてこんなところにいるんだろう。
「失礼しまーす」
「アリア君? どうしたの、こんな時間に」
 実習記録をつけていたらしい。驚いて顔を上げたセレシアス先生は、近くで見ると思いのほか若々しかった。や、まあ、教育実習生なのだから二十歳かそこらだというのは分かっていたのだけれど、普段どこか沈んだような表情が多いせいで、もっと年嵩に見えていたのだ。
 あたしは遅刻ペナルティで生徒会の巡回を手伝っていることを手短に説明した。
「そうか、大変だね。でも遅刻が多いのは具合が悪いからなんだろう?」
「そうですけど……でも別に病気ってわけじゃないし、もっと根性があればなんとかなることだと思うから、少しずつでも頑張らないと」
「担任のラグ先生と、保健医のサルビア先生にも相談するといいよ。……でも、偉いな。頑張ろうって自分から思えるのは素晴らしいことだ」
 つと来客用湯飲みが差し出された。先生が入れてくれた芳醇な香り高いコーヒー。セレシアス先生はコーヒーメーカーにペットボトルの水を注ぎながら、「ちょっとだけ休憩したって平気だよ。もしコーヒーが苦手でなければ、どうぞ」と微笑んだ。
 巡回中に一休みするなんて気が咎めたけれど、せっかく入れてくれたコーヒーを無碍にするのも気が引ける。迷った末、厚意を素直に受け取って、ちょっとだけ休憩させてもらうことにした。
 社会科準備室は静まり返っている。湯気があごに当たって心地良い。室内は膨大な資料の詰まった本棚ばかりだ。重厚な存在感を放つ歴史書が壁に沿ってずらりと並んでいる様子は、威容としか言いようがなかった。
 丸い椅子に腰掛けて、テーブルの向かい側でマグカップに口をつけるセレシアス先生の長い睫毛を眺めていると、不意に目が合った。
「顔色が戻ったね。よかった。さっきはちょっと顔色が悪そうだったから」
 呟くようにそう言われて、あたしは先生を見つめ返した。もしかして、心配、してくれたのかな?
 束の間、柔らかな沈黙に浸される。
 次にあたしの口をついて出たのは突拍子もない質問だった。


(1) どうして教師になろうと思ったんですか?

(2) 恋人はいますか?