3周年記念

花言葉は『愛情』 (2)


 かといって毎度変わり映えしない内容ではつまらない。大体アリアの日常自体が変化に乏しいのだから、仕方がないのかもしれないけれど。
 変わったことといえば時折見る予知夢くらいのものだった。それらの特別な夢については正式な報告書を随時提出しているので、私的な遣り取りの話題に相応しいとは思えない。
 アリアは長く息をついた。離れて暮らしていると、こんなにも話題に接点がなくなるものだろうか。姉はいつだって細やかに気遣ってくれているというのに。
 やるせなくなると、途端に文面が頭に入ってこなくなった。高雅な装丁の本を閉じてアリアは書架室を後にする。
 胸の内の重苦しいものを払うのには一体どうしたらいいのだろう。
 離れに誂えられた泳場に行こうか、外苑を散歩してみようか。この時間からでは牧場へ赴くことは無理なのが口惜しかった。


「姫様、お荷物が届いております」
 重い足取りで寝室へと戻ると、侍女頭が待ちかまえていたように現れた。
「荷物?」
 いつになく上気した彼女の頬と、その手の中の包みと。見比べてアリアは首を傾げた。《クリスタロス》の幹部らがご機嫌伺いにと贈り物でも寄越したのだろうか。
「開けて良うございますか?」
「うん。お願い」
 老婦人が器用に包みを解いていく様を、アリアは籐椅子にもたれたままぼんやりと見つめた。
 変化は音もなく生じた。
 侍女頭が箱を開いた途端、豊かな香りがふわりと部屋中に広がったのである。
 起き上がったアリアは、すぐにその匂いに見当がついた。
「薔薇の匂い袋……」
 繊細な飾りのついた小さな袋だった。柔らかな生地で、どうやら上等な布のようである。
 しかしよく見ると縫い目が多少ぎこちないような気がする。
 指先で撫でると薔薇が再びほのかに香った。先日送られてきた姉からの手紙と、それは同じ匂いだった。
 確信が脳裏に閃いた。
 添え文はないけれど、間違いない。
 これは姉からの贈り物だ。それも手作り。
 ひょっとして、とアリアは思わず窓の外を──公宮のある方角を見つめた。
 ひょっとして、中身の室内香も姉が手ずから拵えたのかもしれない。
 見事に咲いた薔薇を一本一本摘み取り、花びらを集めて乾かして、慣れないお針子をして……。幾種類もの中から生地を選んでくれたのだろうか。最後にきゅっとリボンを結ぶ姉の手が、目の前に浮かんでくるようだった。
「お手紙を、書かれますか?」
 侍女頭の、見慣れた優しい眼差しがそこにある。
 御殿内の侍女として彼女は一番の古株で、“夢見姫”という存在についての秘密を知っている数少ない人物の一人だった。
 先代の遺した二人の娘のうち、一人は大公となって表舞台に在り、一人は異能を抱えて陰に在る。公に会う機会すら与えられず、文の遣り取りだけが姉妹を繋いでいるのだ、と。
「今すぐ書く」
 幼い主の瞳の色を読み取って、侍女頭は手早く文の用意をしてくれた。若草色の中に、四つ葉の絵柄が淡く描かれた便箋だった。柔和な緑が目に心地よい。
 寂しい、辛いとか、そういう感情を送りつけるのは躊躇われても、嬉しい気持ちならば──。
 甘やかな芳香に包まれながら、アリアは心がゆるゆるとほぐされていくのが分かった。
 何をあれほど思い詰めていたのだろう、とすら思えてくる。不思議だった。ついさっきまで強迫観念にも似た思いで「返事を書かなくちゃ」と焦っていたのに、今はもう姉に語りかける言葉で胸がいっぱいになっているなんて。
 これまで使用人に囲まれてきたアリアには、直接自分に影響を与えるような人物と接することはごく稀だった。
 誰もが気遣ってくれるが、それは病人の心を乱さぬようにするのと大差ない種類の気遣いなのである。小さな主人の心情を害さぬよう心を砕くことは、ある意味では情緒的な関わりを拒むということだ。
 だからアリアは気分を変えたければ、本を読んだり身体を動かしたりして、自力で気持ちを切り替えようと精一杯努めなければ適わなかった。
 なのに、きっかけ一つでこうも大きく変わることもあるのだ。
 知らなかった扉が目の前に開かれたような心地だった。どこか暖かい。
(姉上……)
 まるでお花見を翌日に控えた夜のように高揚した心を抑えながら、アリアは羽筆を取る。
 いつもは下書きをして文面を整えてから便箋に書くのだが、とてもそんな悠長なことはしていられない。直接緑色の中に文字を躍り込ませると、後はもう止まらなかった。